自由意思による選択はとてつもないストレスだ
専門学校の講義をしていると、今の若い子は私のような80年代生まれよりも更に「無駄なことはしたくない」「間違った選択は悪だ」と思っている。そういう世代の人々にとって、自由意志による選択はとてつもないストレスだと思う。
— 蝉川夏哉@予後不良 (@osaka_seventeen) 2019年12月9日
この件に関して少し書いてみようと思う。
理由は、蝉川氏の年齢側でありながら『自由意思による選択はとてつもないストレス』に感じているからだ。
そう思うようになってしまった理由を深堀してみたい。
【理由①】あふれる情報社会
まず、会社で「自由にやってみて」と言われた場合。とはいえ何から手を付けたほうがいいかわからないので、ネットや文献から関連する情報を引っ張てくることが多い。
すると、有益な情報が見つかることもあるが「やってみたけどダメでした」とか「そもそもそんなの売れないよ」なんて情報もわんさか出てくる。誰かがすでにやっているのなら(しかもダメなのなら)、と考えるとモチベーションが上がらない。
だんだん、「素人がゼロから手を付けるくらいだったらプロがやれば?」という気にもなってくる。
また、どこかに効率的に終える方法は落ちてないか?落ちてるんじゃないか?と探してしまうほどネットの沼は深い。
【理由②】コストの問題
例えば、上記の内容で「やったことないから試してみたい!」と思っても、会社の経費を使ってまで成果の出ることか?と言われると自信がない。ただでさえ売り上げについてチクチク言われることも多いし、もちろん経費節減なんて全社会議では念仏のように唱えられている。そんな中でチャレンジをと言われても腰が引けてしまう。
個人の生活でも同様。10000円を払うなら美味しいもの食べれるし、何より月末のモヤシ生活につながるのではないかと思うと戦々恐々である。要するにリターンのめどが立っていないのに冒険できない。
【理由③】時間的な問題
何より日々の飯代を稼ぐのに忙しい。会社から「やれ」と言われていることだけでわんさかある。それにプラスして「自由意思で考える」という時間も精神的余裕もない。
考えない方が楽なのだ。
ただ、これって今の職場での出来事であって、前職ではむしろ「積極的に考えるタイプ」であった。だから、単純にうつ状態に陥っていて思考能力が低下しているだけなのかもしれない。
しかし、1つ言えるのは「自由意思で決めること」以外に、自由意思に関係なくできることがあること。が重要だと思う。意思とか関係なしに自分の中のベースを持っていられれば、一つ二つ冒険しても構わないという自信になる。
すると、結局は自己肯定感の問題なのかなとも思う。